迷子な学生の旅

よろしくお願いします。日記、雑談、旅行記録を載せる予定です。

ひとり餃子パーティー

 みなさんこんにちは。れんこん天です。

 ついに学校が始まりました。前回のブログにも書きましたが、自分の気持ちも大切に、素を出すことを意識して一週間過ごしました。そうすると、ひとりになったときにふと湧き上がるもやもやが少なくなりました。相手ともより良く長く付き合える気がします。人間関係は相互作用なので、どの性格に良いも悪いもないと思いますが、時には自分が変わってみることも大切なのかもしれません。

 私はいつも、気分が晴れて初めて、自分の心がいかに病んでいたかに気が付きます。そして、それまで暗闇に目が慣れているので、気分が晴れて光を見た途端、単に悩みがない時より達成感や幸せを感じます。

 何度繰り返しても忘れてしまうのですが、この嬉しい気持ちを記憶に刻むべく、餃子パーティーをします。

 まずは、タネ作りです。

    

 具は、キャベツ、ネギ、ニラです。一人暮らしの狭いキッチンなので丁寧な作業はできません。具の量は、混ぜ込めそうでなるべく多い量です。ものすごい剣幕で、まな板からはみ出しながら、具をみじん切りにします。ひき肉とこねるとすでにおいしそうです。

  

 続いて、包みます。

    

 とにかくぎっしり詰め込みました。一人作業なので、包む間はいろいろなことを考えてしまいます。昔、家族でたくさん水餃子を作って食べた時のことや、知り合いが手作りの皮を買って水餃子を振舞ってくれ、大変美味しかったことなど、懐かしい思い出が蘇ってきました。

     

 そう思うと餃子のパンパンおなかには幸せが詰まっているような気がしてきます。

 次は、焼きます。

  

 肉汁が餃子の皮からあふれそうになっていて、見るからに美味しそうです。ここまでは順調です。緊張のひっくり返す時が来ました。

 少し色が薄いですね。でも、上出来です。 

 写真撮影が終わって、第二弾にむけて包みながらの立ち食い失礼します。美味しいです。野菜と豚肉のうまみが感じられます。いくらでもパクパク食べ進められてしまいますねぇ。今日は好きなだけ食べます。

 

 焼きリベンジです。

 

 思わず、声が出てしまいました。うまくいきました。熱いうちにいただきます。

       

 これは!カリッとしていてジューシーです。幸せって、生きている価値って、こういうことです、きっと。あいにくまだ飲めませんが、ビールが飲みたくなりました。

 クックパッドに載っていた☆栄養士のれしぴ☆さんのレシピを参考にさせて頂きました。

 

 包んである残りは、野菜スープに入れて後日いただきます。楽しみです。

 

 

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もしも迷いが無ければ

 こんにちは。れんこん天です。

 最近、実家から一人暮らしの家に帰ってきました。金魚は、元気に留守番してくれていたようです。

 やはり、一人になると考えすぎてしまいます。勉強のためにやめたバイトを始めようかと思うのですが、辛いことが多くなる気がして一歩進めません。いっそのこと、大学生活を遊ぶことで謳歌しようとも思うのですが、そのモードは長くないと思うと、あまり交友関係を広げることができません。

 そりゃあ、何かをすれば、当たり前に危険はついてきます。そこは考えずに、本当にやりたいことは何なのでしょうか。

 一つは、自分の世界観を誰かに知ってもらうことです。だから、このブログは、心からやりたいことです。

 二つ目は、寿司を握れるようになることです。私は、数えられるほどしか大きな魚をさばいたことがありません。それでも熱意はあり、本当なら弟子入りしたいです。

 三つ目は、素をだせるようになることです。私は、人を傷つけたくない一心です。自分より相手の気持ちが優先になってしまうことは、やめたいのですが、私の美学になってしまっているようで譲れません。しかし、自分のほうが辛くなる時があります。それは、相手も望んでいません。結局、一番傷つきたくないのは自分です。

 意外と出てきませんでした。そして、ここで資格勉強が挙がらないことに困惑します。お金持ちになることや人から尊敬されることといった、勉強することで得られるステータスもそんなに欲しいかと言われるとそうでもない気がしています。

 では、なぜ私はこんなにも勉強に執着してきたのでしょうか。それは、迷わずに取り組むことができるからだと思います。勉強は、裏切りません。誰も傷つけません。私のことも傷つけません。ある程度確実に、自分に貢献してくれます。一方で、ブログを始めるにしても、寿司を握れるようになるにしても、失敗することや辛いことがあるだろうし、それで生きていけるようになるためには、よっぽどの才能が必要に思えます。素を出すことに関しても、周りの人間関係の心配など、勉強することよりも悩めることばかりです。

 客観的に考えると、私にとって、勉強は非常に魅力的です。それと同時に、本当にやりたいことは、自分の世界の表現、寿司職人、素の振る舞いです。迷いがなければ、既に、私の人生はもっと華やかで、楽しかったかもしれません。

 だから、私はまずは資格試験を頑張ります。そして、食べていくことに対する不安が少なくなれば、執筆で稼ぐことや寿司職人になるための修行を始めようと思います。素を出すことに関しては、今から少しずつ頑張っていきます。

 非常に乱暴な論理です。そして、これも迷うことからの逃げです。迷っても度胸をもって決めればよいのに、先延ばしにするばかりで、それすらできていないです。

 しかし、自分に自信がないので、何かに熱中して、これからもっと変われると思っていないと生きられません。だから、もしも迷いが無ければと思うけれど、今は、将来好きなことをする選択をするために勉強をすることにしておきます。

 

 思いつくままに、ひとりごとを書いてしまいました。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

夜桜バーベキュー

 みなさんこんにちは。れんこん天です。

 今日はとても暖かい日でした。寒さがなければ、人も動物も活動的になるようで、カエルは冬眠から覚め、私は、お昼寝から覚め、火起こしをしました。

                   楽天市場】BushCraft ブッシュクラフト オリジナル ファイヤースチール2.0:ナチュラル美健

 松の木を削った粉に着火します。うまくできなかったので、結局、父からのアドバイスをもとにティッシュに着火しました。とても早かったです。今度は、かっこよく松の木の粉に着けられるようになりたいです。鉄の棒をこすると火が付くことは、毎度不思議に思います。

    

 上の木を焼き切った後に炭をくべれば、焼き肉パーティーの始まりです。いつの間にか夜になっています。

    

 ねぎの丸ごと焼きは、外の皮を1枚はがして食べると、甘くてとろとろで絶品です。     

      

  明かりがあるのは、自分達のところだけで、あたりは真っ暗闇です。

    

 父親がライトで照らしてくれました。

    

 ヘッドライトの明るさと綺麗さに驚きました。夜桜を楽しむイベントがありますが、私は行ったことが無かったので、昼の方が、桜の柔らかい雰囲気に合っているし、桜自体がよく見えるから良いと思っていました。しかし、暗闇の中で一本のしだれ桜が、淡い桃色を帯びて光を放つ姿は、優しい花火のようにも見えて、とても幻想的な風景でした。

    

 うちの犬もみんなが見ている方を見ています。

 桜並木のライトアップも見てみたくなりました。

 

 みなさんは、今年、桜を見ましたか?また、見る予定はありますか?

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

寛大な心の持ち主、柴犬

 こんにちは、れんこん天です。まだ体感としては冬ですが、桜と小鳥のさえずりに春らしさを感じます。    

  

 この時期になると、日中は外で過ごす柴犬が、あおむけになって体を気持ちよさそうにくねらす様子が見られるようになります。彼は、筋骨隆々の、茶色の濃い柴犬になることを目標とされていました。そのおかげで、規格外の大きさと一部に黒い毛を持ち合わせた柴犬へと成長しました。近所の人からは雑種かと聞かれ、散歩に行けば、子供に怖いと言われます。初めにイメージしていた方向とは違いますが、野性味あふれる、かっこいい柴犬と巡り合えてうれしく思います。

 彼は、七年間、毎日繰り返してもおすわりしかできません。雰囲気で、伏せもできますが、言葉だけでは識別できません。しかし、別に賢くないわけではありません。おいしいお裾分けをもらえるときは、一定の単語に反応しますし、場面によって態度を使い分けることができます。

 私が思うに、彼が芸を覚えないのは、すごく余裕があるからです。なにをされても、牙をむくことはなく、機嫌が悪い日もありません。何においても、そんなに頑張る必要がないというスタンスが垣間見えます。

 そして、意外に怖がりです。繋がれた鎖が怖いです。バケツに入った水も怖くて、飲むことができません。

 そんな、誰よりも広くゆったりした心と臆病さを持つ彼が、見た目ばかり凛々しく、野性味あふれる姿で立ちこみをしている姿は、ますますかわいいです。

 

 

 ペットや動物とのエピソード等ありましたら、ぜひコメントください。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

くつろぎのコーヒータイム

 みなさんこんにちは。れんこん天です。

 前回のブログにも書きましたが、私は実家に帰省中です。家族とも再会しました。もっぱらキャンパーだった父親が新たな趣味を始めていました。コーヒーです。

    

 奥の椅子に座って、コーヒーを淹れてくれました。

         

 部屋中が香ばしいに包まれます。

 いつも飲んでいるのは、深夜に眠気覚ましとして飲むコーヒー。今回飲んだのは、癒しの時間を提供してくれるコーヒー。同じことをしても、楽しみ方を変えることによって生まれる幸せがあることに気づかされました。コーヒー自体、風味が豊かで、酸味が強くても、酸っぱさというよりもフルーティーさが感じられて、美味しかったです。父は、私が帰省した時に大きく喜ぶ様子は見せませんが、家族団らんに違和感なく参加できることに自分の居場所を感じます。いい時ばかりではないかもしれませんが、少なくとも今の私にとっては大切な場所です。

 

 

 

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


 私は高くて手が出せませんが、おすすめみたいです。私も欲しいです。

a.r10.to 

 あるだけで雰囲気が暖かくなります。

a.r10.to 

a.r10.to

           

生きているだけでえらい

 こんにちは。ブログに何を書けばよいのか迷走中です。れんこん天です。

 毎朝起きることが辛いです。食器洗いも面倒です。昨日から仲間ともめています。明日は、課題の発表をしないといけません。来週からは、忙しくて満足に眠れない日々が続きそうです。少なくとも、このような不安や緊張の時間を何度もやり過ごしてきた私たちは、本当に素晴らしいと思います。

 生きているだけで、大小様々な試練がやってきます。どれも大きな壁に思えて、そのたびに、自分が耐えられるのか心配になります。さらに、私たちは、乗り越えても、数か月たたないうちに、再び何かの壁に阻まれることを解ってしまっています。逃げたとしても別の苦しみがやってきます。どんな形であれ、生きていくことは、とても大変です。

 悩みや将来への不安に対して、恵まれているのに甘えだとか、もっと辛い思いをしている人がいる、と他人から言われたり、自分でも思ってしまうときがあります。

 しかし、自分を責める必要はありません。確かに、人生は、結構辛いものです。

 だから、自分が苦しんでいるときは、小さなことであれ、大きなことであれ、生きている自分を褒めてやりたいと思います。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

メルヘンチックな世界に住んでいたあの頃

 みなさんこんにちは。れんこん天です。だんだん読んでくださる方が増えていて、嬉しく思います。ありがとうございます。

 

 私は、今、実家に帰省するためにバスに乗っています。それで思い出したのですが、小学生のころの私は、バスの窓から外を眺めることが好きでした。流れていく景色を見て、ペガサスが並走している想像をして楽しんでいました。

 昔は、発想が豊かだったように感じます。夜眠るときは、ゲームの主人公になる妄想や犬と話す妄想、それに飽き足らず、空飛ぶベッドに寝ている自分を想像して、夢の世界で夜の空の旅をしたりていました。こびとづかんのカクレモモジリは本当にいる、サンタさんはスウェーデンに住んでいる、信じていたからこそ、メルヘンチックな世界の住人になれたのでしょう。

 私は、大人の今のほうが楽しいです。当時は、現実と想像が曖昧でした。今では、魔法が使えないことを知ってしまいました。しかし、そういう気づきを繰り返してきたおかげで、ぼんやりではなく、ある意味ではファンタジーのようなこの世界を、現実として、生きていけているからです。

 それでも、あの時心からレンジャーになれた自分をうらやましく思う瞬間があります。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。みなさんの子供の時の勘違いや妄想エピソードがあれば、ぜひ教えてください。