お元気ですか。
10年前の私は12歳です。
親の仕事の都合で6歳から別の国にいましたが、12歳・小学6年生の私は、日本に帰国してきました。
全校生徒が1000人ほどいた学校からクラスメートが5人の田舎の学校へ転校してきました。
私は、制服や厳しい校則を受け入れられません。クラスでは、担任の先生が何も言わないからか、いじめが横行しています。今まで会ったことのないタイプの人が多いです。
泣きながら学校に行くこともあります。
私は、自分のような悲しい気持ちになる人がいなくなるように行動したいです。クラスのみんなが悪いとも思わないです。環境が閉鎖的で導いてくれる人がいなかっただけで、産まれながらの彼ら彼女らの本質とは思わないです。私はラッキーなことに優しい世界を先に知ることができました。だから、普段から勇気をもって行動しています。いじめがあったら止めます。そうでもないと学校に行く意味も感じられない気がしています。今は辛いけど、誰かが幸せになってくれたらいいと思います。
だけど、人に尽くしたからといってその分が帰ってくるわけではないことは知っています。自己満足で己の正義に従っているだけというのも分かっていますから。
だから、私は、将来の自分のために勉強を頑張ります。自分の実力だけは自分を裏切らないと母も教えてくれました。それで、お金持ちになって、将来は美味しい物を毎日食べます。馬だって飼います。
10年後の自分が居心地のよい環境を見つけられることを願います。
お元気ですか。
今の私は22歳です。ということは、あなたは32歳ですね。
今の私をおさらいすると、希望の大学に入り、資格試験の勉強をしています。苦労なく友達はできるようになったし、昔欲しかったものは、努力して、手にいれることができました。
しかし、その先に待っていた世界は、思っていたのとは違いました。
周りと違っていることを誇りに自分の中の正義を貫き通すことを目指していた10年前とは変わり、ここ数年の私は、簡潔に言うと、勉強ができて、コミュニケーション能力のある、周りに印象が良い、自立した人を目指していました。そして、ある程度そうなれたと思います。しかし、常に自分を犠牲にしている感覚があるのです。また、理想的な人間を目指し続けていることが、存在しないはずの正解を常に追い求めている気分なのです。
客観的にみると今の方が楽で生きやすそうなのに、辛かったほずの10年前の方が幸せに思えるほどなのです。
それは、私が自分の人生を生きなくなったからだと思います。昔は心から本当になりたい自分を求めてきたけど、今は、人からどう思われるかという点でなりたい自分が決まっているように思います。
そこで、最近は自分の人生を見つめなおしています。
最近の私は、内向的を外交的に、無表情を表情豊かに、バカ真面目をユーモラスに、雑で抜けがちな性格を几帳面にすることに多大なエネルギーを消費しています。
外交的で、ユーモアがあって…こんな人なら周りに愛されるほかない、そうしたら幸せになれると思ってしまうのも仕方ないですよね?32歳の私も私だから、共感してくれると思います笑
しかし、最近は、努力してできるようになっても苦手なものというのがあって、自分が本当に望んでするならまだしも、他人からの評価のために行うには大変すぎることだと思うようになりました。そのほかのことに割くエネルギーが足りなくなるし、他人の評価に縛られることは、時に自分の価値観を見失わせることになります。
それなら、内向的で無表情でバカ真面目だけど抜けがちな私のままでも、自分の価値観や正義をもって、それに従って生きていきたいと思う今日この頃です。
今はまだ途中です。正直、大学も卒業する歳でアイデンティティの拡散はきついです。でも、自分に真っすぐだった過去の自分がヒントをくれる気がしています。
20年前の頑固で独りよがりな自分も、多角的な視点が身についた故に自分を見失って道に迷っている10年前の私も、あなたの中にいます。そして、そのすべてが今のあなたを支えています。
だからきっと、大丈夫です。
10年後の自分が悩みながらも自分の人生を歩めていることを願います。





