迷子な学生の旅

よろしくお願いします。日記、雑談、旅行記録を載せる予定です。

10年前の自分から今の自分へ。今の自分から10年後の自分へ。~自分の人生を生きられますように~

お元気ですか。

10年前の私は12歳です。

親の仕事の都合で6歳から別の国にいましたが、12歳・小学6年生の私は、日本に帰国してきました。

全校生徒が1000人ほどいた学校からクラスメートが5人の田舎の学校へ転校してきました。

私は、制服や厳しい校則を受け入れられません。クラスでは、担任の先生が何も言わないからか、いじめが横行しています。今まで会ったことのないタイプの人が多いです。

泣きながら学校に行くこともあります。

私は、自分のような悲しい気持ちになる人がいなくなるように行動したいです。クラスのみんなが悪いとも思わないです。環境が閉鎖的で導いてくれる人がいなかっただけで、産まれながらの彼ら彼女らの本質とは思わないです。私はラッキーなことに優しい世界を先に知ることができました。だから、普段から勇気をもって行動しています。いじめがあったら止めます。そうでもないと学校に行く意味も感じられない気がしています。今は辛いけど、誰かが幸せになってくれたらいいと思います。

だけど、人に尽くしたからといってその分が帰ってくるわけではないことは知っています。自己満足で己の正義に従っているだけというのも分かっていますから。

だから、私は、将来の自分のために勉強を頑張ります。自分の実力だけは自分を裏切らないと母も教えてくれました。それで、お金持ちになって、将来は美味しい物を毎日食べます。馬だって飼います。

10年後の自分が居心地のよい環境を見つけられることを願います。

 

お元気ですか。

今の私は22歳です。ということは、あなたは32歳ですね。

今の私をおさらいすると、希望の大学に入り、資格試験の勉強をしています。苦労なく友達はできるようになったし、昔欲しかったものは、努力して、手にいれることができました。

しかし、その先に待っていた世界は、思っていたのとは違いました。

周りと違っていることを誇りに自分の中の正義を貫き通すことを目指していた10年前とは変わり、ここ数年の私は、簡潔に言うと、勉強ができて、コミュニケーション能力のある、周りに印象が良い、自立した人を目指していました。そして、ある程度そうなれたと思います。しかし、常に自分を犠牲にしている感覚があるのです。また、理想的な人間を目指し続けていることが、存在しないはずの正解を常に追い求めている気分なのです。

客観的にみると今の方が楽で生きやすそうなのに、辛かったほずの10年前の方が幸せに思えるほどなのです。

それは、私が自分の人生を生きなくなったからだと思います。昔は心から本当になりたい自分を求めてきたけど、今は、人からどう思われるかという点でなりたい自分が決まっているように思います。

そこで、最近は自分の人生を見つめなおしています。

最近の私は、内向的を外交的に、無表情を表情豊かに、バカ真面目をユーモラスに、雑で抜けがちな性格を几帳面にすることに多大なエネルギーを消費しています。

外交的で、ユーモアがあって…こんな人なら周りに愛されるほかない、そうしたら幸せになれると思ってしまうのも仕方ないですよね?32歳の私も私だから、共感してくれると思います笑

しかし、最近は、努力してできるようになっても苦手なものというのがあって、自分が本当に望んでするならまだしも、他人からの評価のために行うには大変すぎることだと思うようになりました。そのほかのことに割くエネルギーが足りなくなるし、他人の評価に縛られることは、時に自分の価値観を見失わせることになります。

それなら、内向的で無表情でバカ真面目だけど抜けがちな私のままでも、自分の価値観や正義をもって、それに従って生きていきたいと思う今日この頃です。

今はまだ途中です。正直、大学も卒業する歳でアイデンティティの拡散はきついです。でも、自分に真っすぐだった過去の自分がヒントをくれる気がしています。

20年前の頑固で独りよがりな自分も、多角的な視点が身についた故に自分を見失って道に迷っている10年前の私も、あなたの中にいます。そして、そのすべてが今のあなたを支えています。

だからきっと、大丈夫です。

10年後の自分が悩みながらも自分の人生を歩めていることを願います。

 

自分と向き合うこと。LINEスマホ断ち。

 こんにちは。れんこん天です。

 

 スーパーでさわらを買うべく山道を往復1時間半。さわらをリュックに自転車と腰が壊れる。自転車はミシミシ音が治らず、未だ自身の脚のしびれが残るも、美味しいさわらに満足。なんとかやっております。

 

renkonten.hatenablog.jp

 ところで、以前書いたひねくれたブログから早2か月が経ちました。

 

 また自分の近況を整理するためにも書いてみたいと思います。次回は料理とか自然とかそういうのを載せます。目標です。

 今回は、私の中で大きな成長がありました。

 

 私がここ数年暗闇の中にいる原因として、人間関係のストレスによりネットの閲覧に依存し、そこで不特定多数の形のない心ない声を浴びている様子を見ることで、どんな人でも失敗するし、それを世間は許さないという認知の歪みが生じたことが大きいと思います。

 そして、人間関係のストレスの上にそういった認知の歪みによるストレスも相まって頭のバランスが崩れてしまったのではないかと考えています。

 

 私の気質が、人間関係でもネットの匿名から特定人に対する誹謗中傷に対する反応でも悪く出てしまいました。

 

 私が人間関係で悩んだのは、私が人の気持ちに敏感になりすぎて自分の心を殺してしまったからです。私がネットの誹謗中傷を見ることにのめりこんでしまったのは、どのように振舞えば批判されずに済むかを探しながらネットを見てしまったからです。

 

 毎日泣いて暮らし、家族も怒り出します。このままではいけないと思い、思い切った行動をとってみました。これまで、私なりにいろいろ試してとことん駄目だったのですが、自分大好き人間なのでまだ諦めることはありません。

 

 一つは、LINEをほとんどやめることです。

私は、LINEにかなりのストレスを感じていました。それにもかかわらず、相手からの内容が気になるので、他の人より長い時間をLINEに費やしていました。LINEに対してこまめな方や相談事が多い方が友達にいれば、逃さずのってあげなければいけないと思っていました。それが私の喜びでもありました。しかし、だんだんと自分の心が不調になっていったため、負担の方が大きくなりました。

 負担に感じるようになったなか、私は身動きがとれなくなっていました。場合によって、LINEをするのが負担だからやめたいけど、これまできちんと返して相談にのってきたのに返さなくなるのは不義理ではないか。相手が怒るのではないか。LINEをしないという選択は今時どうなのか。ネットで培ったさまざまな常識もあり、私は困惑してしまいました。

 しかし、個々の事情にフィットしないそれぞれ矛盾しあう常識を排して、自分の心に問いかけると少し見えてくるものがありました。

 そもそも自分がLINEをしないことによって相手が悲しんだり辛い思いをするというのは私の妄想にすぎず、相手を勝手に評価していると思いました。もちろん、私もすべての人に対してそう思うわけではなく、これまで付き合ってきた経験から直観的に怖くなっているのですが、それでも私の強い妄想だと思えます。

 さらに、私は自分と他者との境界線を引くべきです。仮に相手が悲しむとしても、どこまでも付き合う必要はありません。元をいえば私が他者との境界線を引いていなかったから、自分が苦しむような人間関係ができてしまっているのだと思います。

 長くなりましたが、そんなわけで、ステータスメッセージに「ほとんど返せません」と書いたうえで、LINEをアンインストールしました。

 もう少しで1か月になりますが、今のところとても良いです。はじめは、ふと罪悪感が湧いてきましたが、そのたび、変わるためには勇気が必要と言い聞かせました。とにかく自分が回復さえすれば、後の自分がきっと対処できると言い聞かせました。そうすると、そもそもこんなことで怒る人とは付き合わない方がよいし、いないだろうという気になり、次にはもうLINEを見たくないという心境になりました。どんなことが起こっていても見なければ、ここはコンフォートゾーンと実感できたからです。

 

 次に、スマホのほとんどのアプリに鍵をかけました。

 これまで、タイムロッキングコンテナやグレースケール、iPhoneの時間制限等いろいろ試してきましたが、私の場合は、Opal(Opal Invitation)というアプリの有料版が一番効果がありました。タイムロッキングコンテナは結局やる気のあるときしか使わなかったり、グレースケールも動画を見るときにストレスだったりします。iPhoneの時間制限もくぐりぬけられてしまいます。この点、Opalは時間が来れば自動的にブロックされ、モードによっては解除できません。さらに週間レポートも作られ、スマホの時間を減らせたことが目に見えるので楽しいです。私は、22時~24時にYouTube以外はブロックを解除しており、スマホでメールを返したり、ネット上の用事を済ませ、音楽を聴く等もできているので、スマホをうまく使えている感じも嬉しいです。1日、7時間~12時間くらいのスクリーンタイムが0~1時間になりました。

 

 これらによって、スマホから人生を取り戻し時間ができた私は、一日をどのように過ごしたらよいか分からなかったので、こういう状況になったらこうするというのを決めました。

 まずは、失敗したらセルフトークをすることや不安になったら今日あったいいことを無理やりでも思い出すといったことを紙に書いて机に貼りました。次に、やる気がでなかったら論証を暗記することや朝起きたらとりあえずそのまま勉強することなど勉強についてもルールを決めました。

 

 そうすると、少し人生が動き出しました。

 

 私としては長らく、一日寝るか、頑張ろうとするも動けず、嫌な思考が始まり泣くかの日が大半だったので驚いています。

 他人の気持ちばかり考えて、自分の心に蓋をしていましたが、他人の声と常識を排除すると、私は絶対的にLINEをやめたがっていました。踏み込んでいえば、人間関係を変えたがっていました。なのに、心の不調の原因を常識的に勉強のストレスなどと理由をつけて、ずっと問題の根本の解決をしないまま、大事なことができなくなっていました。

 私は確かに人の気持ちを考えられるほうだと思います。これは私の良いところでもあります。しかし、今の自己犠牲型の状況では、優しさには繋がらず、ただ嫌われることが怖いだけの人になっています。

 今日だって私は不安定です。また不安になっています。でも、そんな日があっても大丈夫です。以前は、治らないなんて絶対嫌だと思っていましたが、自分を大事にしながら歩んでいくことだと思うと悪くないので、ゆったりと行こうと思います。

 

 

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

夏の思い出

こんにちは。れんこん天です。

 

最近、少し涼しくなってきましたね。しかし、また外に出るとすぐにバテます。

 

小学生や中学生はそろそろ夏休みも終わりでしょうか。あっという間なのでしょうが、思い出ができて良いですね。特に何もしなかったとしても、畳で寝転ぶとかそういうことだけで思い出として記憶に残るのが、夏の魔法の力です。

 

私も実家に帰ってきて、夏休みを過ごしていました。

         

外でご飯を食べると帰ってきた実感がわきます。

 

数日後に、いとこたちが来てくれたので、流しそうめんをしたり、川で泳いだりしました。

   

間でちょこちょこ、地元の友達と花火を見たり、ご飯を食べに行ったりもしました。ちいかわが好きな友達の誕生日が近かったのでちいかわのプレゼントを渡したのですが、私までほしくなりました。

          


 

 


 

 

そして、日常で一番変わったことといえば、うちの犬と触れ合えることです。以前「寛大な心の持ち主、柴犬」

 

renkonten.hatenablog.jp

 

と題して紹介した犬ですが、相変わらず凛々しい顔立ちで、ぼんやりのんびりしています。最近は、サルを追い払う任務を負わされていたそうなのですが、吠えても普通にサルは来るし、そもそも生活の場の移動が嫌で戻りたそうだったので、元の生活に戻りました。お疲れさまでした。柿の実を食い荒らし、うんちまで土産に置いていくサルの図太さを見て、よく頑張ってくれたと思いました。彼を触っているときが一番何も考えずに済みます。散歩でバテるタイミングもよく似ているので、とても一緒に過ごしやすいです。

大学は夏休みが長いことが多く、私もまだ一週間ほど休みがあります。

両親が休みの日に鬼滅の映画を見に行きたいです。普段は、勉強を頑張ります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

一皮むけた

こんにちは。れんこん天です。

 

すっかり夏ですね。

 

最近は、元気になってきました。何度もこんな話をしている気がするのですが、今回は自分に言い聞かせるでもなく、本当に元気になってきたと思います。

 

今までは、綺麗に人生を生きようとしすぎていました。人から否定されるようなことはしないように。自分よりも人を大切に。

 

これまでは、親が守ってくれていたから、そんなに困りませんでした。しかし、一人暮らしを始めると、いくら心を病んでも、ひどい暮らしをしようが、誰も止めてくれる人がおらず、自分を大切にできない私は、我慢を続けてしまいました。

 

結局は、私も自分のために人を大切にしていたので、私の我慢が何の意味も持たなかったことに憤りを感じました。

 

さらに、私はここまで頑張ったのに、少しでも相手に悪いことをしたら負けだと思っていました。後々自分が苦しむとも思いました。だから結局、何もできず、そんなところも含めて自分が悪いと言い聞かせ続けました。

 

そんな間、友達が支えてくれました。深刻に話したこともあれば、ただ遊んだ友達もいるけど、みんなに元気をもらいました。

 

きっと、その時の私と話しても何も楽しくなかったと思います。でも、いつも通り接してくれて、また遊びに誘ってくれました。どうして私は、嫌な人の機嫌を損ねないように自分を摩耗して、大切な人との時間を楽しめなくしているのだろうと思いました。自分が批判を受けないような生き方をすることは、私にとってそんなに大切でしょうか。

 

私は、自分の人生を完璧にこなすことに執着しすぎて身動きが取れなくなったと思います。生きることに真面目すぎると、何かをやらかすたび、死んでしまいたくなります。生きれば生きるほど、自分の人生に欠陥が生じていくように感じます。そんな人生、希望も見いだせなくなります。何も行動できなくなります。

 

だけど、私もあなたも誰かに幸せを与えています。そして、人間失敗はするものです。それは、誰であってもです。だから、減点方式ではなく、加点方式で考えてみるのはどうでしょうか。

 

減点方式だと、私がいわゆる悪いことをしたことがあるとして、幸せになる資格がないとか、どんなに良いことをしても、過去を知られたら、すべて終わってしまうと思うと思います。でも、悪いことだけを数える必要はないかもしれません。たとえば、今この日記を読んでくださっているあなたが、おもしろいと感じてくれたとします。あなたにそんな風に思ってもらえた私は、素晴らしいですね。私は、それをそのまま受け取ろうと思います。

 

私は、これからは、どんな相手でも受け入れるのではなく、ある程度付き合う相手を選びたいと思います。人生に欠陥なく生きることよりも、自分や自分の周りに元気を与えたいと思うからです。

 

私のこれまでの価値観では、自分に関して、人を選ばないことは、大切なことだったのですが、結果的に、摩耗して、被害者面をする人間になっていたかもしれません。何が正解か分からないというのを含めて、人から批判されない綺麗な生き方をするのは難しいと感じます。

 

これからは、自分の価値観に素直に生きていこうと思います。

 

私の好きなYouTuberが復活して嬉しいです。私から言えることは、いつも楽しい動画をありがとうということだけです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。言っていることがブレブレかもしれませんが、日記ということでお許しください。

 

 

 

 

許せないことがあってもいいんだよ

こんにちは。れんこん天です。

 

嫌な思い出はありますか?あります。嫌なことをしてくる人はいましたか?いました。

 

これまであったことで許せないことは?ありません。嫌いな人は?いません。

 

では、もう自分の中で解決したのですか?

全くそんなことはありません。ずっと辛いです。

 

もう相手のことは許していて、嫌な人でもないのになぜ辛いのですか?

私が相手に適応できなかったのはきっと私が弱すぎたからです。相手には事情があるし、私の動き方次第ではうまく付き合えたのにだめでした。

 

え、あんなにひどいことをされたのにあなたは本気でそんなことを思っているのですか?

あ、いいえ。うーん。でも少しはそう思ってしまいます。それに、人には私の知らない事情があるのに、私が許せないなんて許せないです。

 

他人を許せない自分が許せないから、自分自身の行為をせめることで、自分を正当化しているということなんでしょうか?

そうかもしれません。私は自分が過ちを犯すことにおびえているから、その時のために自分を責めないですむための保険をかけてるっていうのもあると思います。

 

そりゃあ、しんどいですね。他人に攻撃されて、自分を守らないといけないのに、自ら追い打ちをかけていることになります。

たしかに。他人を許せない気持ちは、自分を守るために必要なのかもしれませんね。別に自分が許せないことで、他人に危害が及ぶことはないわけで。許せない自分を許すことで、自分を許せるようになるような気がします。

 

あなたが、他人のことは他人にしか分からないと思うように、あなたのことはあなたにしか分かりません。だから、素直に嫌なことは嫌、許せないことは許せないでいいんですよ。

とりあえず今はそう思えるようになりました。ありがとうございました。

 

 

最近暗い内容が多くてすみません。自分のために書いています。同じような人に何か良い影響があれば嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

綺麗に生きようとしすぎて、少し無理が生じることがないですか

 こんにちは、れんこん天です。

 

 最近は梅雨入りしましたね。

 なのになぜかタオルがベランダに干しっぱなしです。言い訳としては、最近本格的に勉強モードに入って行動が変わったからです。他にも、スマホを封印したり、部屋の片づけをあきらめたりしています。

 そういうモードに入ると私は常に自分の心と会話している状態になります。雑音が入らないように、気が抜けないように自分で自分を監視します。よく考えると、私はもともとそういう人間だったし、疲れは少ないから、これも一つの私の素だとは思っています。

 しかしながら困りごととして、我の強い人物になっています。普段からそうならいいのですが、私は、普段人の心をよんでよんで生きている方なので、相手からするとびっくりするし、多分、友達が好きな私ではなくなります。

 最近思ったのですが、私が友達と遊ぶときはレンタル彼氏or彼女のような心で臨んでいるのかもしれません。相手に合わせて服装やメイクを考え、態度も変え、なるべく相手の話を引き出すようにする。道順などもしっかり把握して行きます。

 ありがたいことにリピート率は高いです。しかし、それに気が付いた時は自業自得ながら寂しくなりました。無理して作り上げているものだからです。別にお金も貰ってませんしね。いえ、そんなことはいいません。

 もちろん素を出せる友達はいるし、そこまで気が合うひとは、私が勉強モードになっても応援してくれるのですが、大抵の人は、私が勉強モードになると去っていきます。

 もちろんです。相手の反応は当然です。裏切られたと思う人もいたと感じています。

 しかし、私はどうすればよいか分かりません。私は、友達にすべての脳を勉強に集中させるから、ちょっと様子が違ったり、気が回らないことがあるという話はします。すると、分かったと言ってくれます。そしてしばらくして、友達としてつまらなくなった私を本当は面白い人だとか息抜きは大事といってくれます。しかし、自分に向き合いすぎている私にとっては、これが辛いし、余計なお世話だと思ってしまうのです。さらに、もっとおしゃれしたほうがいいと教えてくれても、自分のことは自分が一番よく分かっているのに、それでも勉強のために頑張っているのに、指摘しないで。勉強モードでいくと決めたのに惑わせないでと思ってしまいます。中には、少し馬鹿にしてくる人や弱そうになった私を攻撃してくる人もいて、解釈がよりネガティヴになっていきます。

 こんな私ですから、友好関係がギクシャクし始めることがあります。

 本当は、勉強が終わるまで遊ぶのをやめたいです。とりあえず、1か月後の試験までは、誰とも遊ばないと話したのですが、私がより本腰を入れるのは来年、再来年の試験です。でも、すぐ会える場所にいるのに2年間くらい会わないというのは、もう相手としては友達ではなくなるように思います。

 覚悟が足りていないですね。しかも、欲張りです。だから、これまでレンタルのお仕事のように他人に尽くしてきたし、その友達は、失いたくない。でも、勉強は本気でやりたい。しかも、0,100でしかできない。

 ここまで自分勝手な人もめずらしいですね。

 次に向けた反省としては、自分を作り上げすぎないことです。多分、私がある意味素で、勉強モードになると、軽く失望されたり、少し相手から見下されるようになったりするのは、私のことを全体的にある程度理想的な人物で癖のない考え方をしていると思っていたのに、本当は違ったのだと思われたり、自分にとって心地よく動いて、話も聞いていてくれたのに、ちょっと癖の強い自我で意見することが増えて微妙だなと思われるようになるからだと思います。

 やはり、ちょっとした裏切り行為でしょうか。

 私は、作っていない自分で人と接することが難しいです。相手がこうしてほしいというのが伝わってくるとどうしてもそのとおり動いてしまいます。疲れますが、相手に合わせることは、無意識的に行っていますし、難しいことではありません。

 仮想の自分を作り上げ、自分の素を他人に見せないことによって、他人が素の自分に対して意見を言えないようにして、プライドを保っている面もあります。

 でも、これは、素を出さざるを得ない状況が訪れる限りは逃げでしかありませんでした。それに、私は、「友達のいる自分」でありたくて、これまた自分を作り上げるために仕事のようにコミュニケーションを行い、自分をすり減らしていたと思います。

 これからは、人前で作り上げていない自分とは何なのか、少しずつ本当の自分を混ぜ込みながら生きていけるようになりたいです。自分の意見がないのに、芯のない人間だと思われることを恐れて、相手が喜びそうな意見を自分の意見として話すことをやめたいです。

 やっぱり本来、私はかなり変わった人間なのです。自分はある程度理想的な人物に変わったと思うときもあったけど、結局、変わり者なのです。

 

 

 みなさんも自分の変わった部分を自覚していて、繕いながら生きている部分があって、少し無理が生じるときがあるのではないですか。

 それは、やはり自分はダメだというより、これまで頑張りすぎていたのかもしれません。

 別に、もともと変わっていたって、大抵そのこと自体は、悪いことではありません。

 でも、いままで否定されたり、悔しい思いをしたりしてきました。だから、自分のよくないところになってしまいました。

 それを直そうとすることは、褒められます。生きやすくなるかもしれないし、自分の成長にもつながります。

 だけど、自分の心の声に蓋をしてしまっていませんか。

 人と違うことは悪いことではないのだから、劣等感からではなく、自分自身のためになるなら、その目的で自分を取り繕ってほしいです。

 

 確かに、変わっている部分が、どうしても遅刻してしまうという内容なら、人に迷惑をかけているという点で、悪いのかもしれません。でも、悪ってほど悪ではないです。そして、それによって、沢山嫌な経験をして、様々な手段で努力して克服したのなら、すばらしいことです。でも、そういう場合は、その時間に合わすためにたくさんの労力を使っていることが多いのではないでしょうか。それによって、あまりにも自分自身へのストレスがかかりすぎていないでしょうか。もちろん、世の中の正論はその名の通り正しいです。しかし、あなたの苦労やあなた自身の性質はあなたが一番知っています。だから、それでも頑張っている自分を褒めてあげてほしいです。たまに失敗して、否定されたときこそ、あなたの頑張りや苦悩を知っている自分自身は、自分に頑張ってるよと言い聞かせてあげてほしいです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

勝手な気遣いだったかな

 こんにちは。れんこん天です。

 

 みなさんはどのように友達付き合いをしていますか?友達とはどのような存在ですか?

 私は、時々分からなくなります。だけど、この人とは人生最後までお世話になるのだろうという友達が少しだけいます。

 

 私は、友達に対して、自分がいることで人生のプラスになってほしいや、楽しい時間をほしいという思いで接します。だけど、それを優先しすぎるがあまり、相手にばれないように気を遣い、自分をすり減らしてしまいます。そして、それがあまりに報われないと感じた場合、突如限界を迎え、相手からなるべく気づかれないように姿を消します。そんなこと、相手だって望んでいないので、完全なる自滅です。

 さらに、私は、勝手に自分をすり減らすのにギバーではありません。相手にも勝手にある程度の気遣いを望みます。自分が軽んじられることには耐えられません。ほとんどの事柄は、そんなことがあるのが普通だと思えるし、その子が私に気を遣いすぎていないという意味で喜びもあります。しかし、一定のラインを超えると自分の心が限界を迎えてしまうのです。

 本当は、私は、勝手な気遣いをするのではなく、自分の意見をいうべきです。私は、勝手な気遣いによって、相手を私はどこまでも心の広い人間だと勘違いさせます。だから、耐えられなくなって距離をおいた相手には申し訳ないと思いますし、今後このようなことが無いように自分で友達は選び、自分の意見をきちんと言うことに決めています。

 だけれども、今は、悩みの種だったこの勝手な気遣いを完全に悪いものだとも思わなくなりました。気が付かれないように行っていた勝手な気遣いの一部は、押し付けのない、ささやかな気遣いともいえるのかもしれません。

 それもまた、友達が教えてくれたことです。私の友達は、私の気が病んだ時、とことん話を聞いてくれます。間違いは正してくれます。おもしろい話もしてくれます。そして、気を遣っている様子などは見せません。そっと手を差し伸べてくれます。少し時間が経ってからそのやさしさに気が付くこともあります。その人といるときは妙に心が落ち着き、不思議と頑張ることなく自分の意見を言えます。

 その人もまた、周りを気にしすぎるあまり、自分をすり減らしていると嘆きます。私は、その時、自分は気にしていても、周りは意外と何も思ってないよね、と言いました。でも、違いました。私は、その人の細やかな気づかいによって良い結果を得たり、元気をもらったりしていました。私は、それを伝えるべきでした。

 私は、同じ悩みを抱えていたにも関わらず、その人のささやかな気遣いをたくさん見落としてきました。しかし、その気遣いは、押し付けないから気が付きにくいけれど、確実に人を幸せにしています。

 そのことに気が付いてから、私は、自分自身の勝手な気遣いも愛せるようになりました。私がその人とこれからも友達でいられそうなのは、私の勝手な気遣いのおかげでもあるかもしれないからです。そして、私の他の友達も私の勝手な気遣いに知らぬ間にでも少しは助けられることもあり、一部は気が付いてもらえて、自分のところに戻ってくると思うと嬉しいです。

 

 

 今回書いた内容は、人によっては、綺麗ごとすぎる考え方や重すぎる考え方、独特な考え方だと感じると思います。私自身結局、自分がかわいいから、人に気を遣いまくっている可能性もあります。

 だけど、もし、自分が気を遣いすぎて辛いと思うときがある人がいれば、あなたはやさしい人で、気が付かないところで人を幸せにしている、そして、気が付いてくれる人も少なからずいると伝えたいです。その気遣いが自身の防衛のためでも、自身のこだわりのためでも構いません。やさしすぎるあなたは、少しくらい自分勝手なほうがいいかもしれません。

 

最後まで、お読みいただきありがとうございました。